今年は、たいへんな一年でしたが、もう、大晦日です。
来年は、みんなに笑顔が戻る、よい年でありますように。
来年の福を呼びに、初詣に出かけましょう。
烏山に住んでいるなら、初詣は絶対に烏山神社です。
午前0時ごろには、睦会青年部が、甘酒を振舞うそうです。
ぜひ、お出かけください。
※ 下町睦会(しもちょうむつみかい) = 烏山神社のお祭りのための団体です。
上町(かみちょう)、中町(なかちょう)では、奉賛会と言いますが、
下町は、睦会と言います。
今年は、たいへんな一年でしたが、もう、大晦日です。
来年は、みんなに笑顔が戻る、よい年でありますように。
来年の福を呼びに、初詣に出かけましょう。
烏山に住んでいるなら、初詣は絶対に烏山神社です。
午前0時ごろには、睦会青年部が、甘酒を振舞うそうです。
ぜひ、お出かけください。
※ 下町睦会(しもちょうむつみかい) = 烏山神社のお祭りのための団体です。
上町(かみちょう)、中町(なかちょう)では、奉賛会と言いますが、
下町は、睦会と言います。
蘆花恒春園は、徳富蘆花が明治40年ごろ青山から、移り住んだところです。
昭和2年に亡くなるまで、20年ほどこの地に住みました。
蘆花の死後、夫人が東京府に寄付し、都立公園となりました。
現在の都立芦花公園は、広大ですが、これは環状8号線の建設にともなって
拡張されたものです。
それ以前の芦花公園は、蘆花の住居やその周りの林だけでした。(南斜面の部分)
それ以外の部分(平らな部分)は、昔は、麦畑(あるいは、水田)でした。
goo地図の古い航空写真を見るとよくわかります。
蘆花恒春園の最寄り駅は、京王線芦花公園駅ですが、
直線距離で1キロ以上あります。
地名で言えば、芦花公園駅は南烏山ですが、蘆花恒春園は粕谷です。
芦花公園駅から、蘆花恒春園へ行く道筋の説明は、簡単です。
京王線と南北にクロスしている千歳通りを南に1キロ近く行き、
粕谷地蔵尊の交差点で左(東)に曲がり、500メートルほど行くと
蘆花恒春園の入り口に着きます。
しかし、千歳通りは道幅が狭く、歩道が整備されていなかったので、
このわかりやすい行き方は、薦めるのに躊躇していました。
最近は、だいぶ歩道の整備が進みましたが、まだ、何ヶ所か狭い場所があります。
それより、芦花公園駅の南側50メートルほどのところにある
タバコ屋さんの角を左に曲がって、路地に迷い込んでみるのも面白いと思います。
芦花小、中学校を越えるところなど、道がわかりにくくなっていますが、
千歳通りと環状8号線の間をどんどん南に進んで行けば、
いつか蘆花恒春園ににたどり着けます。
道に迷いながら、昔の武蔵野を思わせる風景を探すのも面白いと思います。
今夜から、3日間、成城消防団の歳末警戒が行われます。
みなさま、おなじみの「火の用心、カチ、カチ」というやつです。
下宿地区は、成城消防団第四分団第3部が担当しています。
烏山神社下宿参集所を拠点に下町内を巡回します。
下町会も応援に行きます。
年末のあわただしさで、火の始末もおろそかになりがちです。
防火、防犯に注意して、よい年を迎えましょう。
烏山下町会では、12月27日午後3時から、防犯パトロールを行います。
毎年、年末のこの時期に下町のエリアを回って、防犯を呼びかけています。
引ったくりや空き巣の被害にあわないように、ビラを配って、注意を喚起します。
実際にどの程度、効果があるかは、わかりませんが、
自転車の前かごにふたをかぶせたり、ちょっとした外出にも必ず鍵をかけるなど、
少し注意を払うだけで、犯罪は、未然に防げると思います。
今日はクリスマス・イブ、戸締り、火の用心に気をつけて、
楽しいクリスマスをお過ごしください。
クリスマスのお買い物は、芦花公園商店街で。
芦花公園、最大のイベントは、毎年、10月に行われる芦花まつりです。
甲州街道の旧道を1キロぐらい通行止めにして、
地元野菜の直売、食べ物・飲み物の模擬店、フリーマーケットなどが並びます。
芦花まつりは、26回も続く秋の大イベントですが、
昨年から、5月の最終、または、6月の最初の土曜日に、
下町会主催で、下町まつりを開催しています。
芦花公園駅から、南に歩いて5分ほどの世田谷文学館の南側の道路で、
焼きそば、わたあめ、フランクフルトなどの模擬店、野菜の直売、音楽の演奏などを
行っています。
また、世田谷文学館にご協力願って、館内で、烏山の歴史の講演会、
小学生のポスター展、中学生の標語展などを行いました。
まだ、2回しか開催していませんが、いずれも好天に恵まれ、
多くの来場者がありました。
梅雨入り前の強い日差しが、並木道の新緑にさえぎられ、心地よい風が吹き、
演奏される音楽を聴いていると、とても癒されます。
来年は、6月2日土曜日に開催する予定ですので、ぜひ、ご来場ください。
3月11日の東日本大震災で被災された方々にお見舞い申し上げます。
一日も早い、復興を願っております。
私は、東京に住んでおりますので、
棚の上のものが落ちたくらいで、ほとんど被害は受けませんでした。
しかし、今、ここで普通に暮らしていることは、
なんとラッキーなことだろうと思うようになりました。
災害の多い日本列島に住んでいる以上、
いつ何時、被災者になるか、わかりません。
世田谷区では、区立の小中学校を災害の際の避難所に指定していて、
年何回か避難所運営訓練を行っています。
避難所は住民の自治が基本です。
交通が遮断された場合、区の職員は、すぐには来ることが出来ません。
あらかじめ、避難所運営の組織が決まっており、地元の町会・自治会やPTAが
運営を担っています。
備蓄倉庫があり、非常食や水も蓄えてありますが、水は赤ちゃんのミルク用、
保存食も地区の住民すべてに行き渡るほど備蓄するのは不可能です。
下町会でも、水と保存食の備蓄を少しずつ進めていますが、
予算や保管場所の制約もあり、全員に行き渡るほど蓄えるのは無理です。
最低3日分の水と食料は各家庭で用意しておきましょう。
3日目になれば、被災しなかった地域から、救援物資が届くはずです。
町会や自治会の活動は、多岐にわたっています。
防災、防火、防犯、交通安全、健康増進、文化活動・・・・
町会は、さまざまな活動を自主的に行っていますが、
それ以外に、町会の役員になって、初めて気がついたことがあります。
それは、行政と住民の接着剤のような役割を果たしているということです。
区が、住民に何か知らせたいことがあるときや住民の意見を聞きたいとき、
もちろん、直接、新聞折込の広報紙やポスター、
最近では、インターネットなども使いますが、
本当に住民に伝わっているのか、つかみづらいのが実情です。
町会は、回覧板などを通じて、人と人とのコミュニケーションで、伝えていきます。
町会からは、近所付き合いに基づいた住民の本音が伝わってきます。
そのため、一般の住民の皆さんが考えている以上に、
行政は、町会・自治会をたよりにしています。
下町会では、さまざまな活動を行っていますので、ぜひ、一度、参加してください。
次回は、町会の活動の中で、今、いちばん重要な防災について書きます。
なぜ烏山という町の名前がついたかというと、いちばん簡単な説明は、
カラスが多かったからということになります。
でも、ほかにもカラスの多いところは、いくらでもありますよね。
あるいは、栃木県の烏山から、人が移り住んで来たから、
という説もあります。
なぜか、世田谷の烏山から、栃木の烏山に人が移り住んだという説は、
あまり聞きません。
あちらの方が、有名だからでしょうか。
でも、最近、読んだ本になるほどと思う説が出ていました。(注)
「からすやま」は、「かわらすやま」から来たものだというのです。
つまり、「川原 洲 山」です。
川原の洲の中に山があるという意味です。
確かに甲州街道をいく筋も小さな川が横切った跡があります。
府中のほうから来ると川筋の中に木の茂った小高い丘があるという風景が、
想像できます。
今の風景から、昔の風景を想像してみるのも、面白いですね。
(注)金子 勤 著 「東京23区の地名の由来」
こんにちは、下町会の高橋です。
でも、町会長の高橋では、ありません。
なぜか、下町会には、たくさんの高橋さんがいます。
それは、さておき、今日から下町会のブログをはじめます。
町会がどのような行事を行い、どのような役割を担っているか、
少しずつ、説明していきたいと思います。
まず、最初に町会の名前の説明から。
下町会と書いて「しもちょうかい」と読みます。
「したまちかい」や「したちょうかい」では、ありません。
そもそも、烏山というのはかなり広い地域なので、
昔から、3つの地域に分かれて、行事などを行っていました。
甲州街道沿いに京都に近い西側から、上宿(かみじゅく)、中宿(なかじゅく)、
下宿(しもじゅく)と言います。
各地区は、甲州街道を挟んで南北に広がっています。
このうちの下宿地区の町会が下町会です。
具体的に言うと京王線の芦花公園駅付近の南北に広い地域が下町会、
京王線の千歳烏山駅の付近が上町会、その真中が中町会です。
地域的にはそうですが、一団で開発された地域や団地・マンションなどには、
それぞれ独自の町会・自治会があります。
今日は、これぐらいで、次回は烏山の名前の由来について書きたいと思います。